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2011年01月18日

星守る犬




















星守る犬
村上たかし

やっぱり犬は飼い主にほんと忠実だよな~。
うちのアクセルは絶対次の餌場にさっさと行くだろうな・・・・・・・・・。


  


Posted by COFFRET at 19:05Comments(0)画像関係

2011年01月16日

90年代の閉塞感は異常

90年代の閉塞感は異常

692 : ハーティ(チベット自治区)投稿日:2011/01/16(日) 00:10:29.65 ID://v+vag20 [1/2]
89年
24時間戦えますか


http://www.youtube.com/watch?v=hn0YUEYE5po&feature=related


99年
戦った結果がこれ


http://www.youtube.com/watch?v=gPbekSHWVjg





710 : ウェーブくん(三重県)投稿日:2011/01/16(日) 00:12:27.43 ID:oUVgmL8v0 [2/9]

 >>692
 あばばばばb
  


Posted by COFFRET at 20:08Comments(0)日常の事

2011年01月16日

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン










邦題を付けた人はかなり苦労したと思う。

  


Posted by COFFRET at 17:10Comments(0)画像関係

2010年12月24日

韓国で密漁してる中国漁船団が赤壁じみてる件

韓国で密漁してる中国漁船団が赤壁じみてる件

1 : くず湯(西日本):2010/12/23(木) 11:22:42.52 ID:u6Neto8H0
西海で密漁に明け暮れる中国漁船

21日午前、全羅南道新安郡黒山面紅島(チョルラナムド・シンアングン・フクサンミョン・ホンド)の北西の韓国側排他的経済水域(EEZ).全羅南道木浦(モクポ)海洋警察署所属の3009警備艦が、密漁をしていた中国漁船11隻を追尾している。これらの漁船は、警備艦艇が追いかけると、縄で相互に縛りあい、一つの船団をなしたまま逃走している。取り締りのため、高速ボート2隻が近づくと、中国人乗組員らが鉄パイプや漁具などを手にし、船の上でせわしく動き回っている。海洋警察は、乗組員らが凶器を振りかざしながら激しく抵抗すると、進入を諦め、中国漁船をEEZの外側に押し出した。


2010 /12/23 02:58 東亜日報
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2010122384698























2 : つらら(大阪府):2010/12/23(木) 11:23:31.36 ID:9GDjl8MB0
 孔明殿、東南の風を!





4 : ニラ(チベット自治区):2010/12/23(木) 11:23:59.42 ID:1b7SwynO0
 まんまでワロタ


8 : 赤ワイン(千葉県):2010/12/23(木) 11:25:12.65 ID:Z+QaY0TN0
 連環の計


9 : わかめ(青森県):2010/12/23(木) 11:25:20.76 ID:2/Vlqvul0
 伝統的な戦術なんだなww


14 : 乾布摩擦(チベット自治区):2010/12/23(木) 11:25:39.63 ID:R0oc9ZJi0
 監督ジョン・ウーw


21 : 冷え性(愛知県):2010/12/23(木) 11:26:38.13 ID:93ttBw6U0
 コラじゃないのかw
 ジョイント無しでやってるならすげえ
 操舵技術だな


35 : 乾布摩擦(チベット自治区):2010/12/23(木) 11:29:18.44 ID:R0oc9ZJi0
 >>21

 > これらの漁船は、警備艦艇が追いかけると、
 縄で相互に縛りあい、
 一つの船団をなしたまま逃走している。


 縄で縛ってんだってよ。縄w






37 : 除雪装置(catv?):2010/12/23(木) 11:29:39.40 ID:uGx8VH1k0
 すげー、まじで赤壁の戦いかよw






49 : ブロッコリー(dion軍):2010/12/23(木) 11:32:59.55 ID:vrt3gfqV0
 やだ、楽しそう・・・



69 : 半身浴(徳島県):2010/12/23(木) 11:41:08.73 ID:PKyUQX4X0
 まさか密漁で中国4000年の歴史を
 感じさせられるとは


85 : ポトフ(福島県):2010/12/23(木) 11:44:10.29 ID:8D8yHsPb0
 これ絶対漁師じゃないだろww





93 : ニラ(新潟県):2010/12/23(木) 11:47:54.04 ID:nzF04UVs0
 赤壁の時ってなんで舟繋げたんだっけ?
 揺れ対策だったかな


99 : 木枯らし(福岡県):2010/12/23(木) 11:49:36.61 ID:Mjq6C8o6P
 >>93
 船酔い対策
 連環の計っていうらしい


105 : 冷え性(埼玉県):2010/12/23(木) 11:53:04.02 ID:fGXM1qGcP
 >>99
 勉強になるなぁ


110 : インスタントラーメン(東京都):2010/12/23(木) 11:56:03.23 ID:eUlGTMOf0
 カッコイイw

 なんか上手くいかないで
 グルグル回っちゃったりしてほしい





179 : 福袋(dion軍):2010/12/23(木) 12:39:42.56 ID:JiUbaX+H0
 レッドクリフ公開前にやってくれよww



184 : 冷え性(長屋):2010/12/23(木) 12:42:45.73 ID:7uXqpwE5P
 韓国で黄蓋って名前の
 漁師緊急募集中



186 : 大晦日(京都府):2010/12/23(木) 12:43:40.18 ID:AGUDi81G0
 >>184
 呪術で風向きを変えれる軍師も雇っとけ。



205 : 蓑(東京都):2010/12/23(木) 13:15:52.61 ID:QOGwBJW50
 赤壁想像図






211 : 天皇誕生日(埼玉県):2010/12/23(木) 13:49:31.59 ID:zJ5seWxU0
 >>205
 くっそワロタww



208 : 木枯らし(千葉県):2010/12/23(木) 13:31:30.60 ID:TfH/99dmP
 そこまでして密漁したいのか













  


Posted by COFFRET at 14:46Comments(0)日常の事

2010年12月24日

ロシアのシロクマには勝てない・・・

貼らずにはいられなかった・・・・・。
  


Posted by COFFRET at 13:22Comments(0)日常の事

2010年12月14日

お知らせです。

お久しぶりの更新です。

師走ですが皆様は今年一年はどんな年だったでしょうか?

私はそれはもう様々な事が御座いましたが、やはり




このブランドとの出会いが最大だったと思います。

人生の考え方を変える様な出会いってそうそうないと思いますよ。
始めは自分も「良い物を紹介するんだ!有名でなくたって良い服はあるはずだ!」
って感じでお店を始めたのにいつの間にか「どれだけ売れるのか?」がつきまとってきて。

音楽の話で例えるならば”Guns N' Roses”と”NIRVANA”ってことでしょうか?

NIRVANAのカートは『ネヴァーマインド』の成功に葛藤を感じていた。
もともとアンダーグラウンドなシーンをルーツとするカートは、この大成功によって自身の信念を裏切ってしまったように感じていたし、メディアの伝える彼の姿と本来の自分の姿との乖離に大きな戸惑いを感じてもいた。
また、カート自身『ネヴァーマインド』制作の際、ある程度メジャー市場を意識して曲作りを行っていたため、自分自身にも強い憤りを感じていた。
そのため、プロデューサーにスティーヴ・アルビニを迎え制作されたアルバム『イン・ユーテロ』は前作のメジャー志向からアンダーグラウンド志向へと回帰したものとなったが、賛否両論のアルバムとなる。
その後も自身のイメージや思い通りに曲が作れない苛立ち、また、少年時代からのうつ病、さらにはドラッグ依存症と悪戦苦闘し、ローマでの自殺未遂を経た末、1994年4月5日、シアトルの自宅で27歳で自ら命を絶った。

ってな感じの人でアンダーグラウンドとメジャー指向について悩んでいまして、その当時既にメジャーでビッグなGuns N' Rosesが大嫌いでした。私にはどちらもかけがえのないくらいの宝物ですが。

「メインストリームという薄汚い拝金主義の泥沼の中で色んな意味で巨大化するバンドを受け入れてコントロールして自分達らしさとの折り合いを付けて、前に進むのがロックなんだ」というGuns N' Rosesの言い分もごもっともです。

しかし、そんなにみんな器用じゃないのよ。朴訥に一直線な人がいてもイイし自分は本来そういう人間だったはずよ。それを強力に思い出させてくれたブランド、それがサーカスでした。

自分達が作る物に共感を持ってくれる人を口伝えだけで増やしていく。基本だよやっぱり。
大量生産せず宣伝を極力しないで自分達が買える価格に抑えた物造り、これですよ。

自分を見つめ直しました。それで自分達で出来ることは何か?を探し始めました。
第一歩は地産地消の服を作ること。既にスタートしています。







TESIスタートです。

他に出来ないことはないか?思いつきました。
福岡で物を造っている人、COFFRETと一緒に提案していきませんか?
始めはゆっくり口コミで広げましょう。











こんな感じの内装です。商品を置きたい!しかし店舗を構えるにはお金が・・・。
と言う人大歓迎です。とりあえずお話ししましょう。

いたらいいな。ご連絡は下記アドレスまで。

coffret@cof-net.com
  


Posted by COFFRET at 15:29Comments(0)COFFRET

2010年09月30日

EX SHOW 2010 -Challenge-開催決定!!

EX SHOW 2010 -Challenge-
開催決定!!






 EXILEの所属事務所が運営する「EXPG」で、定期的に行われている
 『EX SHOW』。
 このショーは全国規模で展開され、
 昨年は5ヶ所で観客動員数1万人以上を記録。
 今回は福岡&台北を加えた全国6ヶ所と海外1ヶ所での開催が決定し、
 前回よりさらにスケールアップしてお届けする! この日のために努力してきた
 生徒たちの熱くビッグスケールなSHOWへ、ぜひ足を運んでみてください!!

 【EX SHOW 2010-Challenge-】
 2010年10月10日(日)
 OPEN:16:00
 START:17:00
 ゲストアーティスト:「Dream」

 会場:ZEPP FUKUOKA
 (地下鉄「唐人町駅」より徒歩約15分
 /西鉄バス「国立医療センター」
 または「ヤフードーム前」すぐ)
 チケット代:前売3,000円/当日3,500円
 ※別途ドリンク代が500円かかります
 ※3歳以上有料


 ★チケット好評発売中!!
 ▼詳細・お申込はこちら!
  http://click.lawsonticket.jp/c/tl?i=JI81JN23um6MxBhd


 LAWSON店頭のLoppiからも購入可能です。
 みなさまのご来場お待ちしています!!
  


Posted by COFFRET at 17:18Comments(0)COAL BLACK

2010年09月29日

小説家ごとの「背後で爆発が起きて振り返る」完全版

小説家ごとの「背後で爆発が起きて振り返る」完全版


◆小説
 「後ろで大きな爆発音がした。俺は驚きながら振り返った。」


◆ケータイ小説 
 「ドカーン!びっくりして俺は振り返った。」


◆ラノベ
 「背後から強烈な爆発音がしたので、俺はまためんどうなことになったなぁ、とか
 そういや昼飯も食っていないなぁとか色々な思いを巡らせつつも振り返ることにしたのである」


◆山田悠介
 「後ろで大きな爆発音の音がした。俺はびっくりして驚いた。振り返った。」


◆司馬遼太郎 
 「(爆発--)であった。余談だが、日本に初めて兵器としての火薬がもたらされたのは
 元寇の頃である…」


◆荒木飛呂彦
 「背後から『爆発』だアァァァッ!これを待っていたっ!振り返ると同時にッ!すかさず叩きこむ!」


◆村上龍
 「後ろで爆発音がした、汚い猫が逃げる、乞食の老婆が嘔吐して吐瀉物が足にかかる、
 俺はその中のトマトを思い切り踏み潰し、振り返った。」


◆奈須きのこ
 「爆発があったのは昨日のことだっただろうか。
 ――突如、背後から爆発音が鳴り響いた。その刹那、俺はダレよりも疾く振り返る―――ッ!」


◆矢口真里 
 「子供の頃からボンバーマンが大好きで、爆発音がしたらつい後ろを向いちゃうんです。
 多分、芸能界では一番マニアックなボンバーマン好きだと思いますよ。


◆京極夏彦
 「凄まじい音とともに地面が揺れる。――爆発、ですか?私が問うと、
 彼は白湯とさして変わらぬ出涸らしをすすり、
 ――だから何だと言うのか。と答えた。りん、と、何処かで風鈴の音がした。」


◆久保帯人
 「背後から爆発音・・・だと・・・!?オレは驚愕し後ろを振り向いた」


◆池上彰
 「じゃあ、そもそも爆発って何なんでしょう皆さん気になりますよね?
 そこで図を用意しました ちょっと後ろを見てください」


◆久米田康治
 「爆発・・・爆発ねえ・・・あの程度の爆発などまだ序の口。
 世の中には、もっと恐ろしい爆発が存在するのです!」


◆村上春樹
 「爆発というものを想像するとき、
 僕は夏の夜に流れる星のイメージに捕らわれる。
 それは恐ろしく儚く、そして短い生命なのだ。だから、僕は常に混乱する」


◆北方謙三
 空気が、震えた
 猛狂うような爆発音に振り返ると、
 青山の乗っていたメルセデスが夕陽と同じ色の炎に包まれていた
 佐山は腹の底から雄叫びをあげた


◆夢野久作
 「……ドオオ―――ンンン――――ンンンン……………。
 いやいや。バクハツだバクハツだ……そんな馬鹿な……
 不思議な事が……アハハハ……。
 私は振り返り、思わず笑いかけたが、
 その笑いは私の顔面筋肉に凍り付いたまま動かなくなった。」


◆夏目漱石
 「後ろからぼかん、という音がした。
 我輩はまた白君がどこぞの酒屋の一斗缶を倒したのかとおもうと、
 どうもちがうらしい。
 ちらと音のしたほうを振り返ると同時に、
 硝煙が我輩の鼻をくすぐった。」


◆水木しげる
 「ウワーーッ!」



◆石田衣良
 「ふー、びっくりした」
 「サイレントマジョリティーを考慮に入れて
 振り返るかどうか決めさせていただきます」

◆宇能鴻一郎
 「あたしの後ろで、大きな音がしたんです。
 あたし、もう、ビックリしちゃって、振り向いた。」

 「あたし,ムッチリとした女子高生なんですけど,
 後ろですっごく大きくて背筋がぞっとしちゃうような爆発音が(以下略

◆大江健三郎
 「後ろから大きな爆発音が聞こえた。女の膣がこすれるような音だった。
 こいつは、勃起させる!」


◆夢枕獏
 「ごう、とはぜるような音がした。」


◆稲川淳二
 「ある一人の女の子がですね、
 こう、人気のない、くらーい道を歩いていたわけですよ」
 「そうすると後ろから、ドカーン!ドカーン!って爆発音がするもんで」
 「いやだなー怖いなーと思いながら、
 その子は振り返ったんですよ。すると…」


◆松尾スズキ
 「そしたら背後からでっかい爆発音が
 ええ、そりゃ振り返りますよ
 振り返りますとも
 人間だもの」


◆渡部陽一
 「そのとき 後ろで 大きな 爆発音がしたんです
 わたしは ひどくおどろき おもわず振り返りました」


◆ドストエフスキー
 そのとき、彼のうしろから爆発音がした。彼の顔は瞬時に真っ青になった。
 しばらくのあいだ立ちすくんでいたが、
 そんな自分を恥じるかのように
 「――ちぇっ!爆発音なんかが、このおれに一体なんの関係があるというのだ」
 と独りごちながら、ゆっくりとうしろをふり返った。


◆北野勇作
 後ろで何かが爆発したような音が聞こえた気がした。
 たしかに他の人は振り返っているように見え
 るし、何か起こったことは間違いないのであろう。
 しかしまあ、振り返らずにあれこれ悩んでも仕方がないから、
 とりあえず振り返っておくことにした。


◆鳥山明
 「ドゥオーーーーン 「!?」 バッ」


◆鳩山由紀夫
 わたくしとしては振り返る必要があるのではないかと思っておりそのように確信もしておりますが、
 一方におきましては爆発がなかったのではないかという御意見も頂戴しておりますので
 今後の推移を見守りながら爆発があったかどうかなどの事実関係も含めて
 国民の皆様の意見なども参考にしまして関係機関との協議を十分に進めた上で
 どのように対処していくべきであるかという方針を決定するために全力で努力すべきであると
 わたくしはそう思っております。


◆尾田栄一郎
 「ドン!」



◆勝俣
 「後ろですっげーでっけぇ爆発音がしたんすよ!!!!
 俺それで、アッコさんが怒ってると思って
 (やべぇ!!!!これまじやべぇ!!!!!!)
 って思いながら振り返ったんですよ!!!!」


◆山岡史郎
 「やれやれこんなものを爆発と呼んでるようじゃ話にならないな。
 いいでしょう、一週間後にまたこの場所へ来てください。
 本物の爆発というものをお見せしますよ。」


◆海原雄山
 「ハッハッハッこんな爆発を有り難がっているようでは
 東西新聞社の社主さんもたかが知れるという物ですな!」



  


Posted by COFFRET at 13:39Comments(0)

2010年09月04日

格好良すぎるぞ





 THEE OLD CIRCUS ストレッチデニムシャツなどが入荷しています。

























生地もカットもそうとう作り込みが凄い!

.....が、細いぞ!!

細身で着る服に困っている方、

必ずハマリます!!

どうぞ宜しく

  


Posted by COFFRET at 16:19Comments(0)THEE OLD CIRCUS

2010年08月27日

今敏の遺書がすごすぎる件・・・

1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/25(水) 21:38:23.37 ID:s1cI0XUL0

 2010年8月25日(水曜日)
 さようなら

 忘れもしない今年の5月18日。
 武蔵野赤十字病院、循環器科の医師から次のような宣告を受けた。
 「膵臓ガン末期、骨の随所に転移あり。余命長くて半年」妻と二人で聞いた。
 二人の腕だけでは受け止められないほど、唐突で理不尽な運命だった。
 普段から心底思ってはいた。
 「いつ死んでも仕方ない」
 とはいえあまりに突然だった。

 確かに兆候はあったと言えるかもしれない。
 その2~3ヶ月前から背中の各所、脚の付け根などに強い痛みを感じ、右脚には力が
 入らなくなり、歩行にも大きく困難を生じ、鍼灸師やカイロプラクティックなどに通っていた
 のだが、改善されることはなく、MRIやPET-CTなどの精密機器で検査した結果、
 いきなりの余命宣告となった次第である。
 気がつけば死がすぐ背後にいたようなもので、私にはどうにも手の打ちようもなかった
 のだ。

 宣告の後、生き延びるための方法を妻と模索してきた。それこそ必死だ。
 頼もしい友人や強力この上ない方の支援も得てきた。
 抗ガン剤は拒否し、世間一般とは少々異なる世界観を信じて生きようとした。
 「普通」を拒否するあたりが私らしくていいような気がした。
 どうせいつだって多数派に身の置き所なんかなかったように思う。
 医療についてだって同じだ。現代医療の主流派の裏にどんなカラクリがあるのかも
 あれこれ思い知った。
 「自分の選んだ世界観で生き延びてやろうじゃないか!」
 しかし。気力だけではままならないのは作品制作とご同様。
 病状は確実に進行する日々だった。

 一方私だって一社会人として世間一般の世界観も、半分くらいは受け入れて生きている。
 ちゃんと税金だって払ってるんだから。立派には縁遠いが歴とした日本社会の
 フルメンバーの1人だ。
 だから生き延びるための私的世界観の準備とは別に、「ちゃんと死ぬための用意」にも
 手を回してきたつもりだ。全然ちゃんと出来なかったけど。
 その一つが、信頼のおける二人の友人に協力してもらい、今 敏の持つ儚いとはいえ
 著作権などの管理を任せる会社を作ること。
 もう一つは、たくさんはないが財産を円滑に家内に譲り渡せるように遺言書を作ること
 だった。
 無論遺産争いがこじれるようなことはないが、この世に残る妻の不安を一つでも
 取り除いてやりたいし、それがちょいと向こうに旅立つ私の安心に繋がるというもの。

 手続きにまつわる、私や家内の苦手な事務処理や、下調べなどは素晴らしき友人の
 手によってスピーディに進めてもらった。
 後日、肺炎による危篤状態の中で、朦朧としつつ遺言書に最後のサインをしたときは、
 とりあえず、これで死ぬのも仕方ないと思ったくらいだった。
 「はぁ…やっと死ねる」
 なにしろ、その二日前に救急で武蔵野赤十字に運ばれ、一日おいてまた救急で同じ
 病院へ運ばれた。さすがにここで入院して細かい検査となったわけだ。
 結果は肺炎の併発、胸水も相当溜まっている。
 医師にはっきり聞いたところ、答えは大変事務的で、ある意味ありがたかった。
 「持って…一日二日……これを越えても今月いっぱいくらいでしょう」
 聞きながら「天気予報みたいだな」と思ったが事態は切迫していた。
 それが7月7日のこと。なかなか過酷な七夕だったことだよ。

 ということで早速腹はきまった。
 私は自宅で死にたい。
 周囲の人間に対して最後の大迷惑になるかもしれないが、なんとしてでも自宅へ
 脱出する方法をあたってもらった。
 妻の頑張りと、病院のあきらめたかのような態度でありつつも実は実に助かる協力、
 外部医院の甚大な支援、そして多くの天恵としか思えぬ偶然の数々。
 あんなに上手く偶然や必然が隙間なくはまった様が現実にあるとは信じられない
 くらいだ。
 「東京ゴッドファーザーズ」じゃあるまいし。

 妻が脱出の段取りに走り回る一方、私はと言えば、医師に対して「半日でも一日でも
 家にいられればまだ出来ることがあるんです!」と訴えた後は、陰気な病室で
 一人死を待ち受けていた。
 寂しくはあったが考えていたのはこんなこと。
 「死ぬってのも悪くないかもな」
 理由が特にあるわけもなく、そうとでも思わないといられなかったのかもしれないが、
 気持ちは自分でもびっくりするほど穏やかだった。
 ただ、一つだけどうしても気に入らない。
 「この場所で死ぬのだけは嫌だなぁ…」
 と、見ると壁のカレンダーから何か動き出して部屋に広がり始めるし。
 「やれやれ…カレンダーから行列とはな。私の幻覚はちっとも個性的じゃないなぁ」
 こんな時だって職業意識が働くものだと微笑ましく感じたが、全くこの時が一番死の
 世界に近寄っていたのかもしれない。本当に死を間近に感じた。
 死の世界とシーツにくるまれながら、多くの人の尽力のおかげで奇跡的に
 武蔵野赤十字を脱出して、自宅に辿り付いた。
 死ぬのもツライよ。
 断っておくが、別に武蔵野赤十字への批判や嫌悪はないので、誤解なきよう。
 ただ、私は自分の家に帰りたかっただけなのだ。
 私が暮らしているあの家へ。

 少しばかり驚いたのは、自宅の茶の間に運びこまれるとき、臨死体験でおなじみの
 「高所から自分が部屋に運ばれる姿を見る」なんていうオマケがついたことだった。
 自分と自分を含む風景を、地上数メートルくらいからだろうか、ワイド気味のレンズで
 真俯瞰で見ていた。
 部屋中央のベッドの四角がやけに大きく印象的で、シーツにくるまれた自分がその
 四角に下ろされる。あんまり丁寧な感じじゃなかったが、文句は言うまい。

 さて、あとは自宅で死を待つばかりのはずだった。
 ところが。
 肺炎の山を難なく越えてしまったらしい。
 ありゃ?
 ある意味、こう思った。
 「死にそびれたか(笑)」
 その後、死のことしか考えられなかった私は一度たしかに死んだように思う。
 朦朧とした意識の奥の方で「reborn」という言葉が何度か揺れた。
 不思議なことに、その翌日再び気力が再起動した。
 妻を始め、見舞いに来て気力を分け与えてくれた方々、応援してくれた友人、
 医師や看護師、ケアマネージャなど携わってくれている人すべてのおかげだと思う。
 本当に素直に心の底から。

 生きる気力が再起動したからには、ぼんやりしているわけにはいかない。
 エクストラで与えられたような命だと肝に命じて、大事に使わねばならない。
 そこで現世に残した不義理を一つでも減らしたいと思った。
 実はガンのことはごくごく身の回りの人間にしか伝えていなかった。
 両親にも知らせていなかったくらいだ。特に仕事上においては色々なしがらみがあり、
 言うに言えなかった。
 インターネット上でガンの宣言をして、残りの人生を日々報告したい気持ちもあった
 のだが、今 敏の死が予定されることは、小さいとはいえ諸々影響が懸念されると
 思えたし、それがゆえに身近な知り合いにも不義理を重ねてしまっていた。
 まことに申し訳ない。

 死ぬ前にせめて一度会って、一言でも挨拶したい人はたくさんいる。
 家族や親戚、古くは小中学校からの友人や高校の同級生、大学で知り合った仲間、
 漫画の世界で出会い多くの刺激を交換した人たち、アニメの世界で机を並べ、
 一緒に酒を飲み、同じ作品で腕前を刺激しあい、楽しみも苦しみも分け合った多くの
 仲間たち、監督という立場のおかげで知り会えた数知れないほどたくさんの人びと、
 日本のみならず世界各地でファンだといってくれる人たちにも出会うことが出来た。
 ウェブを通じて知り合った友人もいる。

 出来れば一目会いたい人はたくさんいるが(会いたくないのもいるけれど)、会えば
 「この人ともう会えなくなるんだな」という思いばかりが溜まっていきそうで、
 上手く死を迎えられなくなってしまいそうな気がした。
 回復されたとはいえ私に残る気力はわずかで、会うにはよほどの覚悟がいる。
 会いたい人ほど会うのがつらい。皮肉な話だ。
 それに、骨への転移への影響で下半身が麻痺してほぼ寝たきりになり、痩せ細った
 姿を見られたくもなかった。
 多くの知り合いの中で元気な頃の今 敏を覚えていて欲しいと思った。
 病状を知らせなかった親戚、あらゆる友人、すべての知人の皆さん、この場を借りて
 不義理をお詫びします。でも、今 敏のわがままも理解してやっていただきたい。
 だって、「そういうやつ」だったでしょ、今 敏って。
 顔を思い出せば、いい思い出と笑顔が思い起こされます。
 みんな、本当にいい思い出をたくさんありがとう。
 自分の生きた世界を愛している。
 そう思えることそのものが幸せだ。

 私の人生で出会った少なからぬ人たちは、肯定的否定的どちらであっても、
 やっぱり今 敏という人間の形成にはどこか必要だっただろうし、
 全ての出会いに感謝している。
 その結果が四十代半ばの早い死であったとしても、これはこれとして他ならぬ
 私の運命と受け止めている。いい思いだって随分させてもらったのだ。
 いま死について思うのはこういうこと。
 「残念としかいいようがないな」
 本当に。

 しかし、多くの不義理は仕方ないと諦めるにせよ、私がどうしても気に病んで
 仕方なかったことがある。
 両親とマッドハウス丸山さんだ。
 今 敏の本当の親と、アニメ監督の親。
 遅くなったとはいえ、洗いざらい本当のことを告げる以外にない。
 許しを乞いたいような気持ちだった。

 自宅に見舞いに来てくれた丸山さんの顔を見た途端、流れ出る涙と情けない
 気持ちが止めどなかった。
 「すいません、こんな姿になってしまいました…」
 丸山さんは何も言わず、顔を振り両手を握ってくれた。
 感謝の気持ちでいっぱいになった。
 怒涛のように、この人と仕事が出来たことへの感謝なんて言葉ではいえない
 ほどの歓喜が押し寄せた。
 大袈裟な表現に聞こえるかもしれないが、そうとしか言いようがない。
 勝手かもしれないが一挙に赦された思いがした。

 一番の心残りは映画「夢みる機械」のことだ。
 映画そのものも勿論、参加してくれているスタッフのことも気がかりで仕方ない。
 だって、下手をすればこれまでに血道をあげて描いて来たカットたちが誰の目にも
 触れない可能性が十分以上にあるのだ。
 何せ今 敏が原作、脚本、キャラクターと世界観設定、絵コンテ、音楽イメージ…
 ありとあらゆるイメージソースを抱え込んでいるのだ。
 もちろん、作画監督、美術監督はじめ、多くのスタッフと共有していることも
 たくさんあるが、基本的には今 敏でなければ分からない、作れないことばかりの
 内容だ。
 そう仕向けたのは私の責任と言われればそれまでだが、私の方から世界観を
 共有するために少なからぬ努力はして来たつもりだ。
 だが、こうとなっては不徳のいたすところだけが骨に響いて軋んだ痛みを上げる。
 スタッフのみんなにはまことに申し訳ないと思う。
 けれど少しは理解もしてやって欲しい。
 だって、今 敏って「そういうやつ」で、だからこそ多少なりとも他とはちょっと違う
 ヘンナモノを凝縮したアニメを作り得てきたとも言えるんだから。
 かなり傲慢な物言いかもしれないが、ガンに免じて許してやってくれ。

 私も漫然と死を待っていたわけでなく、今 敏亡き後も何とか作品が存続するべく、
 ない頭を捻って来た。
 しかしそれも浅知恵。
 丸山さんに「夢みる機械」の懸念を伝えると、
 「大丈夫。なんとでもするから心配ない」
 とのこと。
 泣けた。
 もう号泣。
 これまでの映画制作においても予算においても不義理ばかり重ねて来て、
 でも結局はいつだって丸山さんに何とかしてもらって来た。
 今回も同じだ。私も進歩がない。
 丸山さんとはたっぷり話をする時間が持てた。おかげで、今 敏の才能や技術が
 いまの業界においてかなり貴重なものであることを少しだけ実感させてもらった。
 才能が惜しい。何とかおいていってもらいたい。
 何しろザ・マッドハウス丸山さんが仰るのだから多少の自信を土産に冥途に
 行けるというものだ。
 確かに他人に言われるまでもなく、変な発想や細かい描写の技術がこのまま
 失われるのは単純に勿体ないと思うが、いた仕方ない。
 それらを世間に出す機会を与えてくれた丸山さんには心から感謝している。
 本当ににありがとうございました。
 今 敏はアニメーション監督としても幸せ者でした。

 両親に告げるのは本当に切なかった。
 本当なら、まだ身体の自由がきくうちに札幌に住む両親にガンの報告に行くつもり
 だったが、病気の進行は悔しいほど韋駄天で、結局、死に一番近づいた病室から
 唐突極まりない電話をすることになってしまった。
 「オレ、膵臓ガン末期でもうすぐ死ぬから。お父さんとお母さんの子供に生まれて来て
 本当に良かった。ありがとう」
 突然聞かされた方は溜まったものではないだろうが、何せその時はもう死ぬという
 予感に包まれていたのだ。

 それが自宅に帰り、肺炎の危篤を何とか越えて来た頃。
 一大決心をして親に会うことにした。
 両親だって会いたがっていた。
 しかし会えば辛いし、会う気力もなかったのだが、どうしても一目親の顔を見たくなった。
 直接、この世に産んでもらった感謝を伝えたかった。
 私は本当に幸せだった。
 ちょっと他の人より生き急いでしまったのは、妻にも両親にも、私が好きな人たちみんなに
 申し訳ないけれど。
 私のわがままにすぐ対応してくれて、翌日には札幌から両親が自宅についた。
 寝たきりとなった私を一目見るなり母が言った言葉が忘れられない。
 「ごめんねぇ!丈夫に産んでやれなくて!」
 何も言えなかった。

 両親とは短い間しか過ごさなかったが、それで十分だった。
 顔を見れば、それですべてわかるような気がしたし、実際そうだった。

 ありがとう、お父さん、お母さん。
 二人の間の子供としてこの世に生を受けたことが何よりの幸せでした。
 数えきれないほどの思い出と感謝で胸がいっぱいになります。
 幸せそのものも大事だけれど、幸せを感じる力を育ててもらったことに感謝しても
 しきれません。
 本当にありがとうございました。

 親に先立つのはあまりに親不孝だが、この十数年の間、アニメーション監督として自分の
 好きに腕を振るい、目標を達成し、評価もそれなりに得た。あまり売れなかったのは
 ちょいと残念だが、分相応だと思っている。
 特にこの十数年、他人の何倍かの密度で生きていたように思うし、両親も私の胸のうちを
 分かってくれていたことだろう。

 両親と丸山さんに直接話が出来たことで、肩の荷が下りたように思う。

 最後に、誰よりも気がかりで、けれど最後まで頼りになってくれた妻へ。
 あの余命宣告以来何度も二人で涙にくれた。お互い、身体的にも精神的にも過酷な
 毎日だった。
 言葉にすることなんて出来ないくらい。
 でも、そんなしんどくも切ない日々を何とか越えて来られたのは、あの宣告後すぐに
 言ってくれた力強い言葉のおかげだと私は思っている。
 「私、最後までちゃんと伴走するからね」
 その言葉の通り、私の心配など追い越すかのように、怒濤のごとく押し寄せる
 あちらこちらからの要求や請求を交通整理し、亭主の介護を見よう見まねですぐに覚え、
 テキパキとこなす姿に私は感動を覚えた。
 「私の妻はすごいぞ」
 今さらながら言うな?って。いやいや、今まで思っていた以上なんだと実感した次第だ。
 私が死んだ後も、きっと上手いこと今 敏を送り出してくれると信じている。
 思い起こせば、結婚以来「仕事仕事」の毎日で、自宅でゆっくり出来る時間が出来たと
 思えばガンだった、ではあんまりだ。
 けれど、仕事に没頭する人であること、そこに才能があることを間近にいてよく理解して
 くれていたね。
 私は幸せだったよ、本当に。
 生きることについても死を迎えるにあたっても、どれほど感謝してもしきれない。
 ありがとう。

 気がかりなことはもちろんまだまだあるが、数え上げればキリがない。
 物事にも終わりが必要だ。
 最後に、今どきはなかなか受け入れてもらいにくいであろう、自宅での終末ケアを
 引き受けてくれた主治医のH先生、そしてその奥様で看護師のKさんに深い感謝の
 気持ちをお伝えしたい。
 自宅という医療には不便きわまりない状況のなか、ガンの疼痛をあれやこれやの方法で
 粘り強く取り除いていただき、死というゴールまでの間を少しでも快適に過ごせるよう
 ご尽力いただき、どれほど助けられたことでしょう。
 しかも、ただでさえ面倒くさく図体と態度の大きな患者に、単なる仕事の枠組みを
 はるかに越え、何より人間的に接していただいたことにどれほど私たち夫婦が支えられ、
 救われたか分かりません。
 先生方御夫婦のお人柄にも励まされることも多々ありました。
 深く深く感謝いたしております。

 そして、いよいよ最後になりますが、5月半ばに余命宣告を受けてすぐの頃から、
 公私に渡って尋常ではないほどの協力と尽力、精神的な支えにもなってくれた
 二人の友人。
 株式会社KON’STONEのメンバーでもある高校時代からの友人Tと、プロデューサーHに
 心からの感謝を送ります。
 本当にありがとう。
 私の貧相なボキャブラリーから、適切な感謝の言葉を探すのも難しいほど、夫婦揃って
 世話になった。
 2人がいなければ死はもっとつらい形で私や、そばで看取る家内を呑み込んでいた
 ことでしょう。
 何から何まで、本当に世話になった。
 で。世話になりついでですまんのだが、死んだあとの送り出しまで、
 家内に協力してやってくれぬか。
 そうすりゃ、私も安心してフライトに乗れる。
 心から頼む。

 さて、ここまで長々とこの文章におつき合いしてくれた皆さん、どうもありがとう。
 世界中に存する善きものすべてに感謝したい気持ちと共に、筆をおくことにしよう。

 じゃ、お先に。


 今 敏




11 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/25(水) 21:41:05.85 ID:PdDF5Smd0
 うん、これは泣いたわ。
 46歳って早すぎるだろ



18 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/25(水) 21:47:20.42 ID:GLkjVZq30
 泣けた

 俺、なにしてんだろ


19 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/25(水) 21:47:53.48 ID:GrGYsgRc0
 馬鹿にしながら読んでたけど
 気づいたら泣いてた



24 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/25(水) 21:52:25.00 ID:rS3w5dii0
 まともな日本語を操る人が
 また逝った…。



30 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/25(水) 21:58:35.89 ID:55arL8VfP
 パプリカのトレーラー貼っておくか




31 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/08/25(水) 21:59:28.40 ID:RIlrOfeT0
 今敏は死んだんじゃない
 上部構造に移行しただけだ

  


Posted by COFFRET at 14:54Comments(1)COFFRET